放置できない北朝鮮のウソ【従軍慰安婦】

放置できない北朝鮮のウソ【従軍慰安婦】

「強制連行」八四〇万人、「従軍慰安婦」二〇万人?

確認しておくべき「従軍慰安婦」と「強制連行」に関する基本的事実、「河野談話」の読み方


 

 さる二月上旬の日朝協議で北朝鮮は、「強制連行」で八四〇万人、「従軍慰安婦」で二〇万人が被害を受けており、日本は経済協力とは別枠で補償すべきだと主張した。これは二年ほど前から北朝鮮が繰り返してきた主張であるが、数字もデタラメだし、そもそも戦前の日本が朝鮮半島から労働者や慰安婦を「強制連行」した事実はない。

 これに対して日本側は、これらの数字に根拠はなく、過去清算は平壌宣言で合意した通り一括して経済協力方式で行うべきだと反論した。だが、「こういう北朝鮮の議論そのものに入ることは交渉上好ましくない」(佐々江賢一郎アジア大洋州局長)との理由から、戦前の日本が朝鮮半島で「強制連行」した事実はないという肝腎の反論はしていない。

 むろん、こうした日本側の外交交渉上の立場は理解できるとはいえ、「ウソも百遍くり返せば事実になる」(レーニン)との言葉通り、このままでは「強制連行」や「従軍慰安婦」について北朝鮮が繰り返すウソが世界中で既成事実化してしまう恐れがある。

 実際、以前本誌でも紹介したが、拉致問題で日本を支援している米国保守派の中にすら最近、「従軍慰安婦問題」で北朝鮮のウソを事実として受け入れる人々が現れ始めている。例えば北朝鮮問題専門家のゴードン・ククリュ氏は自著の中で、「日本軍は二〇万人近い韓国女性を拉致し、戦場に送り出した。ほとんどの慰安婦は虐待や病気で死亡し、また証拠隠滅のために殺害された」という趣旨を書いている。

 一方、金正日が日本人拉致を認めた後でも北朝鮮は、「拉致したのは戦前の数百万人の朝鮮人強制連行と比較して取るに足らない人数である」との主張を繰り返し、拉致問題との相殺を目論んできた。こうした意味で、北朝鮮が繰り返すウソを放置しておけば、拉致問題の解決への大きな障害ともなりかねない。

 そこで、かつて本誌でとりあげたことではあるが、「従軍慰安婦」と「強制連行」について国際社会の一部に広がる妄説への反論として、改めて各々の基本事項を整理したい。

 

◆慰安婦「強制連行」の証拠はない

 まず「従軍慰安婦問題」について最初に指摘したいのは、朝鮮人慰安婦の強制連行を裏付ける証拠資料がないことである。

 日本政府は九〇年代前半、当時の公文書を徹底的に調べたが、強制連行を示す証拠は一点も出てこなかった。これは政府が国会で正式に認めており、「政府が調査した限りの文章の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした」(九七年一月三十日・参議院予算委員会での平林外政審議室長答弁)と明確に述べている。

 逆に、発見された公文書は全て、民間業者が誘拐まがいの不法な募集を行うことを防ぐために作られたものばかりだった。その代表的な資料は、朝日新聞が九二年一月十一日、「慰安所 軍関与示す資料」と見出しを付けて一面トップで報じた文書である。これは陸軍省が中国に派遣された軍参謀長に出した文書であるが、軍が警察と協力し、民間業者による強制連行を止めさせるよう求めている。「軍関与」といっても、決して「強制連行」への関与ではない。

 また、元慰安婦とされる人々の証言はいくつもあるが、その信憑性はきわめて低い。代表的な証言としては、ソウル大学の教授らが行った十九名の証言集、元慰安婦たちが日本政府に補償を求めて起こした裁判の訴状、さらに日本政府が九三年七月、十六人の元慰安婦に行った聞き取り調査などがある。

 しかし、西岡力氏などの調査によると、最初の十九名の証言の中で強制連行を主張している女性は四人いるが、そのうち二人は日本政府に補償を求める裁判の訴状では「人身売買」と主張しており、信憑性を欠く。また残りの二人は戦地ではなく、民間の売春施設があった富山と釜山の慰安所に強制連行されたと語っており、そもそも問題外だという。日本政府の聞き取り調査の内容は非公開とされたが、ほぼこの十九名と重複していると考えられる。むろん政府は個々の証言を裏付ける調査をしていないため、そもそも証拠としての価値はない。

 

◆「虚構」を作った犯人たち

 では、強制連行を裏付ける証拠もないのに、なぜ「従軍慰安婦問題」は起きたのだろうか。

 そもそも戦後の日本や韓国に、「従軍慰安婦問題」はなかった。というのも、慰安婦については、「貧困のために身売りさせられた人たち」との認識が一般的だったからだ。要するに、戦前の日本や朝鮮半島では、いわゆる公娼制度の下、貧しい農家の娘などが家族を養うために、「身売り」が行なわれていた。慰安婦とされた女性たちも、それらの「身売り」した女性たちと本質的には同じ存在として認識されていたということである。

 ところが八三年、吉田清治という人が『私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行』という本を書き、これが問題の発端となった。吉田は、軍の命令により韓国の済州島で、若い女性を「挺身隊」として強制連行したと告白したからだ。挺身隊は、法律に基づく戦時の労務動員体制を指す。つまり国家権力が慰安婦を強制連行したという話にすり替えられたのである。「吉田証言」は韓国語に翻訳され、「慰安婦=強制連行」のイメージが韓国で定着していった。

 また八九年には、日本の主婦が韓国を訪れ、日本政府に「謝罪と賠償」を求める訴訟の「原告」探しを行い、その結果、韓国の団体も関わった訴訟が起こされた。これを契機に、金学順という女性が元慰安婦として名乗り出たが、彼女はあたかも強制連行の犠牲者としてマスコミに取り上げられ、「従軍慰安婦問題」のシンボルとなっていった。

 しかし、まず吉田証言は、韓国の地方紙である済州新聞(八九年八月十四日付)や秦郁彦氏の九二年の調査で信憑性がないことが確認された。吉田自身も後に、自分の告白が捏造であることを認めている。また金学順さんも実は強制連行の被害者ではなく、貧困による「身売り」であったと訴状には書いていた。

 ところが、大部分のマスコミによってこれらの重大な事実は隠蔽され、「慰安婦=強制連行」のイメージを固定化する記事が垂れ流された。とりわけ朝日新聞は三度に渡り吉田証言を報じたが、未だに訂正記事を出していない。また金学順さんについても朝日は「身売り」の事実を書かず、「挺身隊という名目で戦場に連行された女性」が名乗り出たと、事実をねじ曲げて報じた。さらに九二年一月、朝日は先に見たように「慰安婦 軍関与示す資料」という見出しを付けた記事を一面トップで報道した。これらは一種の情報操作であり、朝日を初めとするマスコミの責任はきわめて重大だ。

 「従軍慰安婦問題」の発生にとって決定打となったのは、九二年一月に訪韓した宮沢首相が、こうしたマスコミ報道に動揺し、事実関係も調査せずに謝罪してしまったことだ。一国の首相の謝罪は、韓国側には、軍による強制連行を事実上日本政府が認めたものと受けとめられることとなった。こうして日韓間に「従軍慰安婦問題」が発生したのである。

 結局、「従軍慰安婦問題」の背景には、戦後日本のいわば特殊事情が絡んでいたといえる。つまり、自国の過去を貶め、糾弾することを正義であるとみなす一種の倒錯心理である。要は、こうした倒錯心理に突き動かされた著述家、運動家、マスコミ、政治家たちが問題を引き起こした「犯人」なのである。

 

◆河野談話の「読み方」

 では、こうして日韓両国間で政治問題化した「従軍慰安婦問題」は、どのように決着が図られたのだろうか。

 先に触れたように、日本政府は公文書を徹底調査したが、結局「強制連行」を裏付ける証拠は見つからなかった。しかし、宮沢首相の謝罪によって、韓国では「強制連行」のイメージが固定化し、そのイメージに基づく利害関係も築かれてしまい、韓国政府としては「資料がない」では引っ込みがつかない事態となっていた。

 そこで韓国側は、補償もいらないし、慰安婦問題を今後は外交問題にしないから、ともかく強制連行があったということを認めてほしいと日本側に求めてきた。結局、韓国側の要求を日本側は受け入れた。当時の内閣の事務方の責任者であった石原信雄官房副長官は、日本側が「外交的配慮」から慰安婦募集の強制性を認めるに至ったことを認めている。

 かくて九三年八月、河野官房長官は、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあった」「官憲等が直接これに荷担したこともあったことが明らかになった」という談話を発表し、謝罪した。いわゆる河野談話である。しかし、この政治決着がさらに問題をこじれさせることになる。

 三年後の九六年、慰安婦を「軍用性奴隷」と断じ、日本政府に謝罪・補償と責任者の処罰を求める報告書が作成され、国連人権委員会に提出された(クマラスワミ報告)が、その主な根拠とされたのは河野談話であったからだ。これに限らず、河野談話はその後、朝鮮半島での公権力による強制連行を日本が認め、謝罪した公式文書としてとらえられる。

 その意味で、河野談話の罪は大きい。とはいえ、河野談話は公権力による強制連行が朝鮮半島であったことを実は認めていないのだ。河野談話で日本政府が事実として認めて謝罪したのは、あくまでも朝鮮人慰安婦の募集などが「総じて本人たちの意志に反して行われた」点に止まる。「官憲等が荷担」という公権力の関与に触れる部分は、朝鮮半島の事例を指すものではない。この事例は、インドネシアのバタビアで現地部隊の一部が引き起こした事件を指すものであることを東良信外政審議官が九七年三月十九日、自民党議員の会合で認めている。

 なお、その事件では、事の真相を知った軍上層部により慰安所はすぐに解散させられ、関係者は後に戦犯として裁かれている。

 

◆慰安婦に甚だ失礼な「性奴隷」のレッテル

 最後に、当時の慰安婦の生活実態について、いくつかの誤解を解いておきたい。クマラスワミ報告が慰安婦を「軍用性奴隷」と断じたこともあり、慰安所生活の「過酷さ」のみが甚だ誇張されているからだ。

 秦郁彦氏は『慰安婦と戦場の性』において、時期や場所による違いはあるが、利用規則で見る限り、「各種の自由は制限つきながら認められていた」と指摘する。軍の立場についても、「楼主(経営者)の圧制や搾取を押さえ、女性たちの歓心を買うことで兵士たちへの好サービスを期待したと思われる」と説いている。

 また慰安婦の収入について秦氏は、「他の職種や平時の娼婦稼業と比べて、何よりも戦場慰安婦の有利な条件は、高水準の収入だった」と述べ、「前借金を早ければ数か月で返済し、あとは貯金や家族送金にまわすことができた」とも指摘、「日本軍は彼女たちが早く借金を返して帰国することには、むしろ好意的だったと思われる」とも述べている。

 こうした実態を踏まえ秦氏は、慰安婦たちに「性奴隷」のレッテルを貼るのは失礼だと批判するとともに、慰安婦の生還率を「九割以上」と推定する。冒頭で触れた米国人の慰安婦認識が、いかに実態と遊離した虚像であるかが分かる。

 なお、慰安婦となった朝鮮人の数は日本の主な研究者の間では二万人前後とされている。二〇万人という数字は到底あり得ない。

〈『明日への選択』平成18年4月号〉