十八歳のための「主権者教育」を考える

 今夏の参院選から十八歳以上にも選挙権が与えられることとなり、教育現場ではにわかに「主権者教育」なるものが議論の対象となっているという。高校生にも政治意識や社会関心を植え付けようというわけだが、日教組による悪用も当然考えられ、一体何を教えるのかが問題となるからだ。

 まず、「主権者教育」とは何なのであろうか。そもそもそれがわからなくて「主権者教育」などといってみても話は始まらない。そんなことは考えたことすらないという人が大半であろうが、ここではまずここから考えてみたい。

 ここで筆者の頭に最初に思い浮かぶのは、古代ギリシアの話である。それによれば、アテネなどでは、男子は十八歳になると区民として登録され、それから専門の訓育官のような者による「市民」になるための教育が開始されたという。その中心は二年間の兵役。まず服役一年となると国から槍と盾が与えられ、その後一年間、国境守備などの務めを果たすと、ここで初めて「市民」として認められることになったとされる。つまり、「主権者」とは国政に参与する権利をもつ者のことではあるが、そのためには武器を取って国を守ることがまず求められ、その義務を果たした者が正式な「市民」、つまり「主権者」になったというのだ。とすれば、古代ギリシアではこの教育と服役が「主権者教育」だったという話だ。

 こんな話をすると、それは古代ギリシアの話であり、そんな話をこの日本でしてほしくない、という人が早速出てくるかも知れない。これは戦争が日常だった時代の話であり、この平和な時代にそんな話は不謹慎だというのだ。

 しかし、果たしてそうなのだろうか。確かに今日の国家と古代ギリシアでは時代背景が違う。とはいえ、ここで決して忘れてならないのは、実は今でも世界の大多数の国では、その国を構成する国民の義務にはその国を守る義務が含まれると考えられ、それらの国の憲法には今なおこの義務が明記されているという事実だ。この厳然たる現実をどう考えるのか。

 むろん、筆者はこれが「主権者教育」だとまでいうのではない。しかし、「主権者」というものについて考えるならば、この「祖国防衛」の問題は、まず最初に考えられてしかるべき思考上のテーマであると考えるのだ。

 「主権者」とはその国のあり方を最終的に決定する権利をもつ者のことだとされる。とすれば、かかる権利をもつ者は、同時にその国のあり方に最終的に責任をもつ者でもあるべき筈であろう。そして、その国にとって最重要の問題が国家の独立の保持だと考えるならば、かかる問題に対しその「主権者」がいかなる義務をもつかは、やはり避けては通れない重大問題だと筆者は考えるのだ。

 むろん、この平和ぼけの日本でいきなりこうした問題を提起した時の反応は想像がつく。ならば、いきなり「祖国防衛」などといわずとも、「祖国への忠誠」という問題として考えてみることも一考に値するかも知れない。米国では子供たちは、毎日学校で「星条旗への忠誠の誓い」なるものを行っているというが、かかる国家への向き合い方を、わが国の子供たちにも考えさせてみるということだ。「主権者」に最も求められるのは「祖国愛」だとしたのはルソーだが、自分の国を愛し、身をもってその国を支える心構えなくして、そもそも真っ当な「主権者」などあり得ない。この心構えをまず問うべきなのではないか。

 「国に対してただ要求するだけでなく、むしろ何を与えられるかを考えるべき」といったのはケネディだが、説かれるべきはまさにこれであろう。これが国民主権における「主権者」たる者の正当なあり方だと筆者は考えるのだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成28年2月号〉