「減反見直し」の意味とマスコミ報道

「減反見直し」の意味とマスコミ報道

〈『明日への選択』平成26年3月号掲載〉

 

 政府は去る十二月、米の生産調整(減反)を五年後をめどに見直す方針を発表した。

 減反政策はここ四十年余り、日本の農業政策の最大の柱であったが、近年はその限界も指摘されてきた。見直しによりどうなるかは推移を見守らねばならないが、今後の展開次第では日本の水田が再生へと向かう契機にもなり得る。

 しかしながら、これを伝えるマスコミの取り上げ方が歪んでいるため、国民にその意味が正しく伝わっていない。

 そこで、減反見直しの意味をわれわれの視点で位置付け直すとともに、マスコミ報道の誤りを指摘しておきたい。

 

◆水田を守るための施策

 今回、政府・自民党が決定した「農林水産業・地域の活力創造プラン」は、安倍内閣による農政改革の大枠となるものだが、四十年余り続いてきた減反政策の見直しが最大の焦点となったことから「水田農業政策改革」とも言われている。そのポイントは、①主食米の生産を抑制する減反政策の見直し ②主食米から飼料米・米粉米などへの転作を奨励する、という二点だ。

 まず減反政策は、米の過剰生産を抑えることによって、米価の下落を防ぐため一九七〇年代初めから実施されてきた。米価下落を防ぐのは、農家の所得を確保するためだ。しかし、米の供給量を絞っても、一方では消費者の米離れが止まらなかったため、結果的に減反は年々強化され、現在では水田の四割が使われない状態になってしまった。

 今後わが国は人口減や高齢化により米の消費量はますます先細るから、このままではさらに減反を強化する必要が生じ、使われない水田が増えることになる。それでは食料供給の基盤であるのみならず、「緑のダム」と言われるように国土保全上重大な役割を果たしている「水田の多面的機能」までも失うことになる。そこで減反をやめ、水田を使うという方向での施策が必要とされた。

 とはいえ、減反をやめ、米を自由に作るようになれば、需給バランスが崩れ、やはり米価が下がってしまう。そこで麦・大豆などへの転作だけでなく、飼料米・米粉米などの多用途米を作り、水田をフル活用するという施策が検討されるようになった。

 とりわけ本誌は、多用途米の中でも、飼料米の増産にシフトすべきことを訴えてきた(平成二十一年二月号掲載・伊藤哲夫「飼料米が水田を救う」など)。その主旨はこうだ。わが国では家畜のエサをほとんど外国に依存している。この飼料の大量輸入こそ、わが国の食料自給率を先進国で最低の三九%に押し下げている最大の要因だが、減反の対象となっている水田でも米が作れるということになれば、水田はフル活用されるし、自給率は上がる。これは一石二鳥の話なのだ。

 じつは「水田フル活用」の施策自体は自民党政権下の二〇〇七年から打ち出され、飼料米生産への補助金も二〇〇九年に開始されていた。また民主党政権下では、飼料米への補助金が増額され、飼料米生産は大きく前進した。その成果の上に立って、今回政府・自民党はさらに飼料米への転作が進むよう、麦や大豆などへの転作補助金は据え置き、飼料米(および米粉米)への補助金を手厚くした。その補助金の付け方には注文はあるものの、方向性自体はおおむね正しいと思う。

 

◆米が安くなっても消費は増えない

 ところが、この飼料米への補助金拡充について、マスコミは総じて疑問を投げかけた。

 これらマスコミの一番の問題は、「補助金はダメ」「消費者にとって米は安い方がいい」という考えが大前提にあり、米価が高くなったり、補助金を投入することが何であれ否定的に書かれてしまうことだ。例えば、日経新聞はこう書いている(11・20)。

 「政府は中堅・中小農家を少しずつ飼料用米などの生産に誘導したい考えだ。だが巨額の転作補助金につられて主食米作りから撤退する農家が急増すれば、狙いとは反対にコメの価格が上がり、減反を続けるのと同じ結果を招く可能性もある」

 しかし、米の値段が下がったところで消費は増えるのか。多少は増えるかもしれないが、劇的に増えるわけがない。むしろ荒幡克美岐阜大学教授の試算によれば、「食生活の変化など非価格要因によるコメ需要の継続的縮小」は年間約八トンにのぼるという(日経11・6)。要は、日本人の嗜好が変化し、米を余り食べなくなったことが消費減少を招いているわけで、多少安くなったところで食べるようになるという話ではないだろう。

 また、ここ二十年、頭から「補助金はダメ」ということになっているせいか、飼料米への補助金拡充も当然の如く疑問視されるが、自民党農林部会長の齋藤健衆議院議員は言う(中央公論三月号)。

 「現在、日本人は一人あたり年間五六キロのコメを消費している。これは、一キロ四〇〇円前後の平均的なコメの場合、金額にするとだいたい二万二〇〇〇~二万三〇〇〇円ぐらい。だから、一カ月二〇〇〇円弱、一日六〇円強、一食二〇円強ということになろうか。つまり、日本人一人あたりの一日のコメの支出は、缶コーヒー一本よりもはるかに少ない。主食米から飼料米へ生産を少しずつシフトしていくためには、飼料米を作っても主食米と遜色のない収入がなけれはならない。そのためには、どうしても助成が必要になる」

 ちなみに、その額は一六〇〇億円。一人一食当たりに換算すれば、一円ちょっとプラスするだけでいいという。それで水田の維持・蘇生に役立つならば、理解できない話ではないだろう。

 

◆輸出の限界を考慮しない幻想

 次に指摘したいのは、余っている米をさばく手段として望ましいのは、米の輸出だということがお決まりのように言われることだ。朝日新聞はこう書いている(11・3)。

 「『世界一おいしい』と自負する主食の競争力を、価格面も含めて強化したい。転作補助は、あくまで補完的な手段である。経済連携協定を通じて食料輸出国とのパイプを太くするなど、『食』の安定は複眼思考で考えねばならない」

 むろん、今後は国内需要が先細って行く以上、国外に需要を開拓することは必要である。しかし、そこに限界があることはハッキリしている。

 日本の米輸出の現状は、三一二一トン・十億三千万円(二〇一三年速報値)。政府は農産物の輸出に力を入れ年々増え続けているとはいえ、米・米加工品を合わせた輸出額の目標は二〇二〇年までに六〇〇億円という程度に止まる。理由はこうだ(農林水産省「コメ・コメ加工品の輸出戦略」)。

 「日本産米に対しては、『高いけれども、うまい』という評価はあるものの、輸出先マーケットにおいては、許容できる価格差には限界があると理解されている」

 「特に、中国市場では、品質差を上回る高価格で流通しているのが実情。しかも、小売価格の内訳の約6割は先方の手数料であり、生産費を下げる等の努力によってもこの差は埋まらない」

 「海外でも日本産品種が栽培されていることを考えれば……輸出が爆発的に伸びるとは考えにくい」

 よく日本の米は「世界一おいしい」のだから、中国の富裕層などにどんどん輸出すれば日本農業の展望も拓けるかのように言われるが、そんなのは幻想に過ぎないということである。

 

◆人々の生活や地域共同体はどうなるのか

 結局、マスコミの主張に従えば、余った米はさばけず、水田は守れないことになる。

 それだけではない。日本の水田は農家によって守られてきたが、その人々の生活や地域共同体や景観を今後どう守って行くのか。とりわけ、中山間地域などの地方経済は、小規模でもその集落に住む人々が農業を営むことによって成り立っている。じつはこの問題を全く議論していないことが、マスコミおよび彼らが依拠すると思われる構造改革派論者の最大の問題なのだ。

 一方、そうした問題に対する一つの回答として、政府・自民党は「日本型直接支払い制度」を創設した。前出の齋藤議員はこう説明している。

 「本制度は、幅広く国民全体が受益するにもかかわらずこれまで農家が共同で行ってきた、農道の維持や用水路の掃除などの維持管理業務が、農村の高齢化のためにままならなくなってきたことを契機に、有償で地域の方々に行ってもらおうという制度である」

 しかし、マスコミの手に掛かると、これも次のように歪められてしまう(東京新聞11・27)。「補助金は全国四百六十万ヘクタールの農地のうち87%の地域が対象になる。地域農業の維持にはほかにも補助金があり、個人が所有する農地を税金で守ることに抵抗感を持つ人は多い。補助金漬けで生産の意欲が低い農家を存続させることにも批判はある」。東京新聞はそう書いた上で、日本型直接支払いも「活動に公共性や社会性を持たせないと、ただのばらまきになる。しっかり監査しないといけない」という大泉一貫宮城大学教授のコメントを載せている。

 それに対して、齋藤議員は「一部に、新たなバラマキだという批判もあるようだが、とんでもない。そう批判する方々は、より高いコストをかけて、行政が直接、維持管理業務をやるべきだと言うのか、それとも、今まで同様、地域の方々が奉仕し続けよと言うのか、どっちなのかをはっきりさせる必要があろう」と反論しているが、その通りであろう。

 むろん、飼料米増産にはまだまだ課題が多い。本来はそれを克服するために叡智を結集し、国民の理解と協力を求めて行かなければならないはずだが、今はそれ以前の話だ。農業・農村が「改革されるべき守旧的存在」として語られるだけなのが、残念でならない。(つづく)

〈『明日への選択』平成26年3月号〉