民進党は旧社会党になるのか

 参院選が終わり、改憲を容認する議員が参院でも三分の二を超えた。これで一気に改憲の発議へと動いていくわけではないが、この三分の二の確保がなければそもそも改憲そのものが成り立たなかっただけに、この参院選の結果は実に大きな意味をもとう。

 一方、民進党は共産党と一体となって「三分の二阻止」を訴え、そして敗れた。32ある一人区で11勝と、それなりに善戦できたことから、この共闘には効果があり、これからもこの路線で行くべき、との声が強いともいうが、果たしてこの結果を党としてどう総括するのであろうか。その答えは九月に行われる代表戦で示されようが、今後の改憲に向けた前途を占うためにも、その成り行きには大きな関心をもたざるを得ない。

 というのも、民進党がこれまでのような共産党と一体となった姿勢で進むことになるなら、今後の改憲に向けた国会議論は、これまでのごとき不毛なイデオロギー的議論から脱することなど、およそ不可能という他ないからである。となれば、昨年の安保法制の際の議論と同様、民進党は再び明日にも日本が戦争になるかのごとく、あるいはこの日本に徴兵制が導入されるかのごとく、再びデマ宣伝に狂奔すること必定であろう。

 しかし、ここで考えてみるべきは、このようなバカげた議論で一体何がこの日本に生まれるのか、ということだ。確かに昨年の安保法制の時に成功したかのごとく、おなじみの左翼知識人と左翼マスコミとの連携により、一時的には再度の盛り上がりが再現されることはあり得るかもしれない。しかし、今やその安保法制も、評価する世論が六割を超え、今回の選挙では彼らの廃止の主張は全く効果をもたなかったのが現実であった。とすれば、所詮それは一時のあぶくのようなものを出ることはないということだ。

 ところで、この憲法を巡る議論の対立を「新五十五年体制」と呼ぶ論者がいる。これは再びこの日本を、このような不毛な構造に陥らせてよいのか、という危惧の表明でもある。「何でも反対」の社会党が至る所で左翼イデオロギーを振り回し、万事「抵抗・抵抗」で、政策の遂行を妨げたというかつての構造だ。ということは、民進党はかつての社会党と同じという話でもあるが、この党の辿った無惨な道を再び民進党は辿るのか、という問いでもある。

 「民進党は民主党時代から自民党に対して連戦連敗だ。政権党への批判票を集める『振り子現象』も久しく起きず、『政権交代可能な2大政党制』の定着は遠のくばかりだ。/国民をがっかりさせた民主党政権時代からの違いが見えず、『政権を任せられる政党』と見られていないためだ。基本政策が大きく異なる共産党との共闘は、有権者にそうした不信を一層強めさせたのではないか」(7・11)

 讀賣の前木理一郎記者はこのようにいうが、それは単にかつての「口先政党」から脱せられない、という話だけではない。民進党がかつての社会党のような単なる「拒否政党」に堕してしまったことにより、もはや「政権を任せられる政党」というこの党への期待が消えつつあるのではないか、との指摘でもある。

 民進党がともに歩もうとする共産党は、自衛隊の合法性を認めず、防衛予算を「人殺し予算」とすら呼ぶ政党である。そんな政党と今後どうやって歩調を合わせるというのか。あるいは、中国の国際裁判所の判決をすら公然と無視する行動にどう対処するのか。それでも相変わらず、ただ「平和」「話し合い」なのか。

 今こそわれわれは、この党に問わなければならない。民進党はかつての社会党に退化するつもりなのか。あるいは再び政権を担いうる責任ある政党をめざすのか。それは今後の改憲に関わる議論の質を決することにもなろう。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成28年8月号〉