天皇陛下の「お言葉」をどう受け止めるのか

 先月八日の天皇陛下のお言葉は実に重いものだった。国民の一人としてこれをどう受け止めるべきか。筆者もまたここでささやかな私見を開陳させていただきたいと思う。

 お言葉は陛下の「象徴」観を前提とされた上で、天皇が「終身在位」であることへの率直な懸念について語られたものであった。すなわち、「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか」とまずは問題を示され、ご公務縮小という考えには「無理があろうと思われます」とこれを退けられた後、「摂政」という選択肢に対しても、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」と、象徴たる務めを果たし得ないままで、その後もただ天皇であり続けるという形に、明確な否定的見解をお示しになられたのである。

 これに対しては、いかにそれが陛下のお考えであろうとも、やはり天皇はご在位されることそれ自体に意義があり、明治の皇室典範以来の「終身在位」の考え方は変更されるべきではなく、それがまた皇位の安定性を確保する道ではないか、との考え方もまた当然あり得る。現に政府もこれまでこの「終身在位」の考え方への疑問に対し、いわゆる生前の「退位」は、①歴史上、上皇や法皇等のいろいろな弊害があった。②必ずしも天皇の自由意思に基づかない退位の強制という可能性があり得る。③恣意的な退位は国民の総意に基づく「象徴天皇」にそぐわないのではないか、との政府としての立場を表明してきた、ともいえるからだ(宮尾盤宮内庁次長、平成四年、参院内閣委)。

 とはいえ、今回の陛下のお言葉がとりわけ重大なのは、「高齢化社会」という、関係者が考えたこともなかった「新たな現実」を問題にされた、ということにあるのではないか。陛下がご即位なされたのは五十五歳の時であったが、皇太子殿下は既にこの陛下のご即位時の年齢を超えておられる。つまり、これは誠にありがたいことではあるにしても、このまま陛下がお元気でご長寿を全うされるとすれば、その時は殿下がご即位なされるのは七十歳を超えてから、といった事態も起こり得る、ということでもある。

 むろん、それがどうして問題なのだ、との反論もあり得よう。しかし、ご当人にとってはそれはどんなに過酷なことか、という問いもまたあってしかるべきではないか。天皇になられるということは大変なことであり、それが七十歳を過ぎてとなれば、その重み、ご苦労はいかほどのものか、ということなのだ。

 もちろん、その前に摂政になられる、というケースも当然あり得よう。しかし、陛下のご指摘にもあるように、その場合は陛下にとっては「精神若しくは身体の重患」(典範十六条)などではないにもかかわらず、ご公務からは一切離れられ、いわば完全な隠居のような立場のまま、にもかかわらず、ただ「天皇であり続ける」という道でもまたある、ということなのだ。

 とすれば、ここは当然ご譲位はあってしかるべし、というのがとるべき道なのか。

 しかし、この「終身在位」の原則に手を入れるとなれば、そこに様々な問題もまた派生して出てくる、という問題も無視することはできない。ご譲位後の陛下のお立場、ご称号はもちろん、何よりも重大なのは、そこに少しでも自由意志が入る余地が生じたとなれば、そこに尤もらしい顔をした論者たちが、「退位の自由」、また「即位の自由」、更には「天皇の人権」なるものを囃し立て始めるのは火を見るよりも明らであるからだ。しかし、そうなれば、もはや天皇制度そのものの否定となることはいうまでもない。

 政府には、慎重な上にも慎重な検討を求めたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成28年9月号〉