韓国の混乱から何を学ぶか

 韓国の朴槿恵大統領が辞任の危機に陥っている。百万を超えるデモが大統領の退陣を求め、国会では弾劾手続きが始まりそうな雲行きである。

 韓国大統領と言えば、クーデターによる失脚、暗殺、不正での訴追と、安心してリタイアしたケースはないと言われる。不祥事だけを取り出しても、全斗煥氏は光州事件の責任と不正蓄財によって死刑を宣せられ(後に特赦)、盧泰愚氏は政治資金の隠匿と親族の不正蓄財で訴追された。その後を継いだ金泳三、金大中、さらには盧武鉉、李明博の四人の大統領は子供や兄弟の不正で追及された。真偽のほどはまだ分からないが、清廉だとされてきた朴槿恵大統領も今度の始末である。

 かつての李朝の朝鮮では、実権を握った派閥が国政を壟断し、末期には堂々と官職をカネで売る「売官」が横行したという。政府財政と宮中の財政の区別がなく、宮中の乱費が国家財政を脅かしていたというのだから、王室自身が国家を食いつぶしていたとも言える。「国家を私する」のは韓国政治の宿痾としか言いようがない。

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 そうした権力者にまつわる不正だけでなく、国内の対立も歴史的な宿痾と言えよう。李氏朝鮮の時代は、王を背後で動かす官職を巡って、両班間の「党争」と言われる党派対立が政治の常態だった。王朝中期には功臣や大地主を中心とした勲旧派と新興の科挙官僚である士林派が対立し粛清を繰り返した。一旦は士林派が実権を握るが、そうなると今度はその士林派が東人派と西人派に分裂。さらに東人派は南人派と北人派にわかれ、西人派は老論派と少論派に分裂し対立……と止めどなく「党争」が繰り返された。李朝末期の十九世紀後半になると、大院君派と閔妃派、事大党と独立党とが血で血を洗う権力闘争を展開した。

 戦後も全斗煥・盧泰愚の軍人政権とそれを批判した金泳三・金大中らの対立があった。今度の事件も、ポスト朴槿恵という段階になれば、深刻な対立が起こることは必至であろう。

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 むろん、政治的な対立はどこの国にも起こる。とりわけ、政治的自由が保障されねばならない近代の議会政治においては、極端な政治的対立は国民を二分する危険を常にはらんでいる。

 日本も近代という時代の転換期にあっては、明治維新では幕府側と薩長などの新政府側との対立は内戦にまで至った。明治になっても征韓論によって政府が分裂したり、国権派と民撰議会開設を要求する民権派が激しく対立したりもした。しかし、日本は国民を二分するような事態には陥らなかった。それは国民統合の核である天皇のご存在があったからだと言える。

 坂本多加雄氏はかつて明治十年代の国権と民権の対立についてこう指摘したことがある。

 「ここで重要なことは、わが国の『立憲主義』は、天皇の権力と権威に対する国民の闘争ではなく、天皇の権威の承認という共通の前提のもとで、権力を独占した藩閥政府のリーダー達と、そこから疎外された人々との間で、その政治的意思決定に対して天皇から『正統性』が授与される政治主体は誰か、という点をめぐる闘争を通して発展したということである」と。

 つまり、対立は激しくとも、双方に「天皇の権威の承認という共通の前提」があったというのである。だからこそ、一時的な政治的対立を超えて国民統合をなし得たと言えよう。こう見ると、対立、不正が繰り返される韓国の歴史は国民統合の核を持ち得なかった国の悲劇とも言える。

 今、「ご譲位」を巡って様々な論議が行われているが、天皇のご存在が国民統合に果たしてこられた歴史的役割についてもっと論じられるべきではあるまいか。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成28年12月号〉